「菓蔵家」は朝倉が大好きです。 美味しいフルーツや特産品、美しい歴史や文化、 美しい四季折々の野の風景を表現したい想いで菓子を作っています。 そんな豊かな朝倉の魅力を少しだけご紹介いたします。 |

|
一説によると三奈木砂糖は文政年間(1800年後期)から旧藩の特産品として作られ、最盛期には、砂糖しぼり用水車が12台あり三奈木地区を中心に約五百ヘクタールの砂糖きび畑で栽培されていたそうです。 しかし、輸入砂糖や奄美・沖縄産に比べ価格的に太刀打ちできず、 また、かつて甘木地方の得意先である飴屋が軒並み消えていき、(当時、甘木名物の飴の中餡には、三奈木砂糖が使用されておりました。)昭和49年頃(1974)に生産が途絶えてしまいました。 そこで当店の4代目である床嶋政義がなんとかもう一度、郷土特産の 三奈木砂糖を使った棒飴が作りたいと思い立ち、どこか作ってある所はないかと探した所、当時、三奈木で農協に勤めてあった |
|||
池田七郎氏(故人)が、ぜんそくに良いからと奥様の為に畑の隅にわずかな砂糖きびを植え、 三奈木砂糖を作ってあることが分かり、 そこで熱意に燃える4代目床嶋政義は責任を持って当社で買い取りますからと 積極的に農協(当時、羽野営農部長)に 生産再開を働きかけ、 池田七郎(故人)・宮原一郎(故人)を始め生産者有志、甘木市農協(当時)の力で、【幻の三奈木砂糖】は 8年ぶりに(1982)市場に復活したのであります。 当時、米が余り始め減反政策が行われていたので農協指導の元に 三奈木砂糖を復活することができました。 お陰様で、郷土の産業、文化に貢献できたことは誇りと共にうれしいかぎりだと思います。 現在で云うところの「地産地消」の先駆けだったのではないでしょうか。 現在でも三奈木砂糖は、篠原拓也(農協砂糖部会長)氏の元、良い三奈木砂糖を作ろうと、 今でもガスや、石油を使わず薪で砂糖を煮詰める製法で農薬や化学肥料を使わず大変なご苦労の中、 素晴らしい朝倉特産三奈木砂糖は生産されております。 この三奈木砂糖は菓蔵家の代表銘菓の三奈木まんじゅうや、三奈木砂糖羊羹・三奈木プリンなど色々なお菓子に 使用させていただいております。 |
|
|
|||||||
![]() |
|
|
|||||||
![]() |
|
|
|||||||
![]() |
|
|
|||||||
![]() |
|
|
|||||||||
![]() |
